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チーム完熟 の【完熟お見舞い、申し上げます】
既婚、未婚、子あり、子なし、シングルマザーとバラエティに富んだ編成のコピーライター集団「チーム完熟」。酸いも甘いもかみ分けてきた40代~50代の4人が人生の後半にさしかかり、訪れた心身の変化に向き合う奮闘記【完熟お見舞い、申し上げます】。同世代の読者が抱えるモヤモヤした気持ちを少しでも明るく照らせますように!
こんにちは。
前回自分の老け込みに落胆し、「1.自分の目から老けて見えなきゃいい」のだ!とプロの手を借りて年相応の外見を取り戻したマンゴーです。
しかし、この”外見メンテ”を一生繰り返すこと、そしていつまでも若見えを目指す「アンチエイジング祭り」に参加していくことを想像したら、それだけでうっすら疲れ、疑問がわいてきた次第。
そこで挑むことにしたのが
2.老けることに嫌悪をいだかなければいい。
という価値観変容。
しかし、そんなことできるのか…!? というのが今回のテーマです。
42年間も「若々しい外見を好ましく思ってきた」マンゴーが、あっさりそのものさしを手放せるとは思っていません。
そこで、目指すべき方向にいそうなロールモデルを探し、その人を自分なりに理解することで価値観の変化のヒントが見つけられないか、試してみようと思います!
ではどんな人を目指せば良いでしょう。
なるべく自然体の方がいいなあ……とパッと頭に浮かんだのが、夏木マリさん、桃井かおりさん。
サッパリした姐さんキャラ、憧れます。
次に浮かんだのは、故樹木希林さん、もたいまさこさん、楳図かずおさん。
ご自身の存在自体が突出したキャラクターになっていらっしゃる。ここまで独自路線を高められたら素敵です。
……ん、でもちょっと待てよ。
みなさま大前提として「仕事で大成功」されているではありませんか!
ということは、「自然体に見せる」や「独自路線」のブランディングが確立されているとも言える“見せ方のプロ”。だからこそ、こうやって名前を挙げれば、読者のみなさまにも伝わるのですよね。
そこを目指すということは、「こうなりたい」と「こう見せたい」が混じり合い、ヘタをすれば「こう見せたい」が勝ってしまうのではないでしょうか。
ちがうんだ、私はあくまで、自分の目から見た自分に納得したいんだ。
うーむ、ではいったん芸能界から遠ざかろう。
と3週間あまりたってようやく見つけました!
私のロールモデルは、小野小町センパイです。
ご存知、小野小町とは世界三大美女に数えられることもある平安時代の宮廷人。和歌の名手で「古今和歌集」の序文に記された六歌仙のひとりであり、三十六歌仙のひとりでもあります。特定の男性と結婚はしませんでしたが、秀逸な恋歌が多く残されているため、恋多き女性だったと推測されています。
つまり、現代でいうなら容姿端麗で仕事ができる激モテ・バリキャリ官僚といったところでしょうか。
彼女の和歌の代表作は多々ありますが、マンゴー的には小倉百人一首におさめられているこちらでしょう。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
(※マンゴー意訳:桜が長雨で散ってしまったように、物思いにふけっているうちに私の美貌は衰えて、あの人との仲もむなしくなってしまったよ……。って、あたしは美貌だって言いきっちゃいます! 夢をもたせておく方がいいでしょう? きっと紀貫之も見過ごせない一首となって、平安のSNS『古今和歌集』にも載っちゃうね!)
小野小町の素顔の造形は知られていませんが、殿方に「こんな歌を詠むのだから、美人に違いない!」と思わせてきたブランディング力も凄腕。
パイセン、さすがっす!
おいおいマンゴー、小野小町なんていっそう目指せないロールモデルじゃないかって?
ふふふ、まあ、お待ちくださいよ。
マンゴーが注目しているのは、小野小町センパイの更年期以降と思われる後半生。
能の演目「卒都婆小町」によると、99歳になった小野小町は昔の美貌はどこへやら、乞食のような姿となって各地を放浪しています。
が、その知性は健在で、小町の素行を注意した僧を言い負かし、見事な歌を詠んで僧を感服させるというではありませんか。
もちろん、これは伝記というよりフィクションですが、マンゴーはここからとても大切なことを学びました。
美貌が消えても、知性はのこる。
そして、知性は魅力的。
あえて見た目と中身を同列で語らせていただきましょう。
これは私に限ったことかもしれませんが、「美人だね!」「かわいいね!」と外見を褒められることと、「おもしろいね!」「一緒にいると楽しい!」と言われることを比べたとき、後者の方が興奮するのです。
場合によっては男性から「かわいいね!」とごくごく稀に言われると、せっかく言ってくれたのに「こいつ、舐めてんのか」と思うこともある……。私にとって「かわいい」とは保護の対象であり、制御できる存在といった意味合いが強いようなのですよね。でもたまには言われたいよね……くそお、こじらせております!
話を戻しましょう。
小野小町センパイの演目を知り、私は自分に人をうならせるなら外見の美しさではなく、トンチやアイデアで「いいね!」と言ってもらいたいというインサイトがあると、ありありと自覚したのでした。
仮に外見が老いても「おもしろいおばちゃんだ」や「楽しいアイデアを出すおばあちゃんだ」と思われるのであれば、つまりある種の知的さを味方にしておけば、私は自分の老いた外見に嫌悪しなくなるのではないか? と仮定したのです。
つまり、自分にとって優先度が高い項目を満たすことで、次点の項目が欠けていても、意外とうやむやになるんじゃないか、という期待を持ったわけです。
では、この知性、知力、知的とはいったいなんなのか。
マンゴーの定義は「考え続け、決めていく力」のこと。知力は最終的に死生観を決定し、生き方を決めていきます。
ああそうか、
美容観は死生観
です。
「ありのままの自分」「私らしさ」などという”自分探し症候群”も、死生観からの逆算で解消されそうだ。
……え、思考が飛びまくっていてよく分からない?
ほほほ、失礼いたしました(扇ぱたぱた)。
そのあたりの詳細は、次回へ持ち越すといたします。