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前々回のコラムで、20年前と現在ではロビン・ライトの印象が全く違うと書いた。女優の今昔、キャリアやエイジングなど様々な観点で『デブラ・ウィンガーを探して』は非常に興味深いドキュメンタリー映画であることも述べたが、世界最高峰の名優であり怪優でもあるフランシス・マクドーマンドの言葉が金言としか言いようがないのでここにご紹介したい。
世界最高峰とは言ったが、フランシス・マクドーマンドって誰?という質問もあるかと思う。分かりやすく大作で主役を張るタイプの人ではないし、そもそものところでフィルモグラフィにおける主演作の割合がそう多いわけでもない。しかしアカデミー賞主演女優賞受賞3回と、その実績は驚異的。ある程度洋画を観る人であれば、フランシスがいかに秀でた才能の持ち主であるかは誰もが知っているはず…と言ってもいい存在だ。
名門イェール大学の演劇学校出身のフランシスは、当時お互いのボーイフレンドが友達同士だったということから、『ピアノ・レッスン』のホリー・ハンターとルームメイトだった時期がある。ホリーも『ピアノ・レッスン』でアカデミー賞主演女優賞をしているので、ともにアカデミー賞女優になる同士が、一緒に住んでいたなんて偶然あるのかと当初は耳を疑ったが、エルヴィス・プレスリーとB.B.キングがブレイク前に親交があったとか、エリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスはライブハウス時代からの知り合いだとか逸話も数々あるので、レジェンドとレジェンドの邂逅って意外とあるものなんだなあと呆気に取られてしまう。
圧倒的に男性優位の映画産業では、女性はより若くより美しくあることが理想的と捉えられる向きが強いことは、このコラムでも何度か言及してきた通りだ。『デブラ・ウィンガーを探して』ではホリーまでもが「女性の見方を内側から変えていける映画が作れたらいいのに」とハリウッドの実情を明かしていた。「整形手術はすごく身近にあるから、誘惑されそうになる」と零す女優もいたが、フランシスはこの点に関して、明快な持論を展開している。
「女優が整形手術に走ってはいけない理由をホリーとも話し合ったの。今私は44歳だけど10年経ったら、54歳の女の映画が必要になって、54歳に見える女優がいなければ大変。『だから今を耐えたらその時は一人勝ち。54歳のいい女優が要るときに独り占めできるよ』と。」
この時点では、一人勝ち、独り占めというのはあくまでも喩え、フランシスなりのジョークに過ぎなかったはずだが、なまじ喩えではなくなったのは2017年の主演作『スリー・ビルボード』で賞レースを総なめにする猛攻が始まったあたりだ。
ミズーリ州のエビングという架空の街で、娘を殺害した犯人を捜そうとしない警察に業を煮やし、3枚の看板を出稿する母親ミルドレッドをフランシスが演じている。…と簡潔にあらすじを説明したつもりだが、全然想像がつかないだろう。とにかく凄まじい作品なのである。全編サスペンスタッチだが、重厚な人間ドラマでもあり、復讐劇のおどろおどろしさを漂わせながらも洒脱なユーモアもある怪作で、こんなシロモノを作れる国に勝てるわけがない、と心地よい敗北感さえあった。作品を引っ張るフランシスは、娘の同級生の股間を蹴り上げるわ、歯医者のドリルを歯科医の指に突きつけるわ、めちゃくちゃデンジャラスな武闘派母ちゃんで、つなぎのワークスタイルに髪は刈り上げ、おでこも頬も口元も皺が深く刻まれたた顔はほぼすっぴん。ケイト・ブランシェットやケイト・ウィンスレットがすっぴん(風)スタイルでもフェミニニティを匂わせるのとは対照的に、フランシスのそれは完全に本気だ。
女子力だとか人間力なんてありきたりな表現ではない「フランシス・マクドーマンド力(りょく)」としか言いようのない気迫に圧倒されるばかり。今でもふとした瞬間に、「『スリー・ビルボード』ってすごい作品だったなあ…」と思い返すことがある。
そこから3年後、『ノマドランド』で3度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞したフランシスは今や無双状態。コーヒーショップでノートPCを広げるノマドワーカーではなく、バン1つで各地を転々とする本物のノマドを演じているが、川で水浴びするシーンはバストトップもアンダーヘアーも一切隠さないし、用を足すシーンは恐らく大も小も本当にしている。役作りのために車上生活やAmazonで日雇いの仕事もこなすくらいだから、カメラの前で適当にやり過ごして、あとは編集で何とかしてもらおうなんていう発想は一切ないみたいだ。
…と書くと、性も年齢も超越したスーパー超人のように見えてしまうが、もちろん彼女も人の子であり、人の親でもある。映画の宣伝のためのプレス取材を好まない人で、プライベートについても多くは語らないが、ニューヨーク・タイムズのインタビュー(※1)
では、過去の不調について明かしていた。
「46歳くらいの時、家族を殺してしまうかもって不安だったんですよ。息子のペドロが思春期でもがいていて、テステステロン中毒に振り回されていた頃、私は閉経周辺期で。毎日ホットフラッシュが3回くらい起きて、毎晩汗で冷たくなって不快な状態でした。」
殺してしまうかも、の一言がリアル過ぎて恐ろしいが、巷でよく聞く「子どもの思春期と自分の更年期が重なる」は無敵のハリウッド女優も襲うのか…と染み入ってしまう。
しかし更年期を経てからの快進撃は前述した通り。フランシスいわく「更年期のあとに得られるものは“透明になること”。性的に、男性にも女性にも“見えない”存在になる」とのこと。原文ではもちろん“invisible”と言っているわけだが、この表現に違和感や反感を覚える層もいるだろう。透明って、さも価値がないみたいだという意見が出てもおかしくはない。一方で、性的な意味で判断されない、値踏みされない点では悪くはなさそうだし、その是非はまだ私には分からない領域だ。
エイジングには一過言も二過言もあるフランシス。俳優という職業だけではなく、人間という種の問題でもあると、同じくニューヨーク・タイムズのインタビュー(※2)
でも語っている。
「大人になる欲求がないんですよね。大人であることがゴールになっていない。それが贈り物だと見なされていないんですよ。服装にしても化粧品にしても態度に関しても、45歳以上になることを想定していない。みんながティーンエイジャーのようにめかして、みんなが髪を染める。みんな、すべすべの肌でいることを気にしている。」
なかなか手厳しい…が、的を射た意見だと思う。私はフランシスが『デブラ・ウィンガーを探して』に出ていた当時の年齢である44歳になったばかりで、無理に若作りするつもりはないとしても、できれば肌にしみや皺はできないでほしいのが本音だ。来る加齢を受け入れられるようになるだろうかと考えていたところ、フランシスは先のインタビューを受けて、「あなたが今の年齢を喜んで受け入れていることを素晴らしいとは思うけど、スクリーンの自分を見て『わあっ』ってなったこととかはないのですか」と直球の質問をされている。
(※3)
フランシスはほうれい線を指さして、もちろんといった表情で「これ何?ってなりますよ」と返している。「でも、これは20年前に生まれた息子のペドロの分だって。顔はロードマップですよ。皺を取り覗いたら私の10年、15年を消してしまうことになってしまうでしょう。」と得意のジョークを交えながら訴える姿にはとてもじゃないけど敵わないものがあった。彼女がしみも皺も厭わないのは、それらを武器にさえできるキャリアも、満たされたプライベートもあるからだろうけど、それを下支えしているユーモアとかウィットは全て自らの力で手に入れたものだ。
『スリー・ビルボード』でゴールデングローブ賞主演女優賞に輝いたときはスピーチで「演劇学校の若い女優だった頃、『あなたは生まれながらに才能があるわけではないから、一生懸命頑張らなくてはいけないよ』と言われたことがある、だからそうしました」と述べ、会場を拍手に包んでいた。
運や巡り合わせだってゼロではなかっただろうけど、努力をひけらすこともなく地道に芸事に向き合い、結果を出してきたからこその説得力がある。人は見た目が9割とか、内面が顔に顕れるとかよく言われるけど、仕事がフランシスのイイ顔を作っているのは間違いない。私にはまだ皺をロードマップと捉えることは難しそうだけど、せめて仕事や身の回りのことには真摯に向き合わねばと襟を正している。
※1
https://www.nytimes.com/2017/10/03/magazine/frances-mcdormand-difficult-women-career-surge.html
※2
https://www.nytimes.com/2014/10/19/arts/frances-mcdormand-true-to-herself-in-hbos-olive-kitteridge.html?_r=0
※3
https://finance.yahoo.com/video/frances-mcdormand-talks-about-her-role-as-olive-kitteridge-25432328.html