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長年映画を見ていると、俳優に対して様々なイメージを持つようになる。アクション俳優だと思っていた人が素朴な小品に出ていると新たな魅力に気づくこともあるし、悪役を演じている時が一番輝いて見える人もいる。この人また作家の役だなとか、繊細な青年を演じたらこの人はピカイチだとか、例を挙げるとキリがないけど、やはり俳優は作品の華。勝手な思い入れを抱きながら夢を見させてもらう日々の中で、私がケイト・ウィンスレットに抱くイメージは「大体いつも胸元がはだけている」だ。
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムにも輝き、これまでアカデミー賞に7回ノミネートされている(間もなく公開の「フレンチ・ディスパッチ」で多分8回目のノミネートなんじゃないかなーと予想)文字通り実力派俳優ケイト・ウィンスレット。あんまり洋画は見ないので役者の名前は分かりませんという人でも「タイタニックのヒロイン、ローズを演じた女性」と言えばさすがにピンと来ると思う。
ちなみに「タイタニック」のWikipediaページを調べてみると「叙事詩的ロマンス災害映画」とあってその描写の過不足なさ、申し分なさにちょっと笑ってしまった。その通りすぎるのだが、「タイタニック」以外に叙事詩的ロマンス災害映画ってこの世にあるのだろうか。ご存知の方はご一報ください。
「タイタニック」が日本で公開されたのは1997年12月20日。当時大学受験を控えていた私にとって、推薦入試で進路が決まっている友人だけが見に行ける特権的映画は、ものすごく疎ましい存在だった。大学合格後も変な意地があって「本当に面白いから斜に構えずに見てみたら」とどれだけ薦められても絶対見に行かないぞと頑なになっていた。今だから正直に言えるが、「あの時見に行けなかった映画」を今更見るのはものすごく癪に障ったのだ。
数年後、WOWOWで放送されたのを何となく見てみたのだが、事もあろうに「あの」シーンでトイレに立ってしまったので、決定的にこの作品とは縁がないんだろうと諦めていた。そこから月日は流れ、2021年、ゴールデンウィーク明けあたりに金曜ロードショーで2週にわたって放送されたのを記憶している人も多いだろう。当時よりだいぶ柔軟になった私も久しぶりに見てみるかと放送を楽しみにしていたのだが、あんなにひねくれていた20数年前の自分が嘘みたいに思えるほど、めちゃくちゃ感動した。なんだったら泣いてしまった。 ストーリーやあらすじについてはもはや説明する必要もないと思うので割愛するが、超ド級のパニック映画と、王道のラブストーリーをアクセル全開で両立していることもさることながら、将来を全て決められていたお嬢様のローズが親の敷いたレールから飛び降りて、自らの人生を歩もうとするガールズエンパワメントものだったことに今頃気づいた私。意地を張っていた17歳の私のバカバカ。公開当時に劇場で見ておけば…(ただし、ジャックを演じるレオナルド・ディカプリオのあまりの眩しさに受験勉強が手につかなくなっただろうから、見たら見たで弊害はあったかもしれない)。しかし、初見の際も、ジャックに肖像画を描いてもらうためにローズが黒いシースルーのローブを脱ぐシーンはとても鮮明で、彼女に対する胸元がはだけているイメージはここから始まったはずだ。若い頃から大人っぽい雰囲気を持つ彼女だけど、公開当時22歳。デコルテの張り感が若さを物語っています。
そもそも、胸元がはだけているイメージは、現代劇よりも時代ものに多く出演していることによると思う。「タイタニック」は1912年という設定だし、アカデミー賞の主演女優賞に輝いた「愛を読むひと」や、ディカプリオとの再共演で話題になった「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」、あと近年の作品で個人的に大好きな「女と男の観覧車」は全て1950年代が舞台だ。ブラウスやワンピースの下にツルっとしたスリップを着用しているから、あらゆる場面で胸元がはだけていたのだろう。
決してスキニーというわけではなく、胸元も腰回り、背中にも厚みがあるのが裸婦像みたいで、ただならぬ色気と貫禄を感じるポイントだ。もちろん、演技が素晴らしいことが大前提ではあるが。
「レボリューショナリー・ロード」では倦怠期を迎えた夫婦を演じているレオ&ケイトは、フレッシュなカップルだった「タイタニック」のまさにカウンター。超絶演技派の2人が言い争う様子がガチンコすぎて、終始胃がキリキリ痛くなってしまうし、こちらのケイトは青い鳥症候群と呼ぶべきか、もっと虚ろで悲し気。同じようにはだけた胸元は、20代のそれとは確実に変化しているけど、彼女がエイジングしている様に私はとても惹かれてしまう。 リプロダクティブ・ヘルス/ライツや、夫婦の在り方についてラスト1シーンまで考えさせられる、切なくも残酷な作品だが、プライベートのレオ&ケイトが長年に渡る大親友だというのがゴシップ愛好家としては救いでもある。つい先日も久しぶりに再会して涙したなんてニュースを見て、関係ない私ももらい泣きしかけたほど。彼らは常に魅力的なバディだ。
時代ものの出演が多いとは言ったものの、もちろん現代劇の演技も高く評価されている。エミー賞で16部門ノミネートされたドラマシリーズ「メア・オブ・イーストタウン / ある殺人事件の真実」では小さな町で起きた殺人事件を追う刑事役だ。
地味な装いで、化粧っけもないけど、色気と貫禄はなおも健在。公式ポスターの過剰なレタッチを修正してくれと製作元のHBOに2回突き返したとか、ベッドシーンでお腹のたるみが映っていたのを監督がカットしようとしたところ「絶対やめて」と断固拒否したというエピソードを目にしたが、役作りで太ももを大きくするために、Peloton(アメリカで大人気のエクササイズバイク)でトレーニングしている彼女にごく表層的な見た目の話をするのは野暮でしかないだろう。
そんなケイトも「ついワンナイトスタンドをしてしまう、孫のいる中年女性役を演じるなんてOKなのかしら?」とドラマ内でのヌードやベッドシーンの是非を夫に尋ねたそうだ。「やりなよ!」と激励されたそうだけど、当の本人は「年齢の問題ではないけれど」と前置きした上で、「こういうシーンをやめるのは時間の問題かも、これ以上ヌードになるのはあんまり気持ちのよいものではないから」とインタビューでも語っている。
このところ、映画やドラマなど性的なシーンがある撮影現場に立ち会い、制作サイドの意向を的確に伝えながら演者をサポートするインティマシー・コーディネーターという専門家が脚光を浴びている。前回のコラムでもご紹介した「ハウス・オブ・グッチ」でもクレジットされていたのを見逃さなかったが、HBOはインティマシー・コーディネーターを真っ先に起用した放送局だし、ケイトの発言も納得。この流れが加速するのか、そして彼女の今後ももちろん気になる。 しかし、個人的に一番気になっているのはケイトの背中を押した夫、エドワード・アビル・スミスのこと。目下、宇宙旅行で話題になっているヴァージン・グループの創始者リチャード・ブランソンの甥っ子である彼は、ケイトにとって3人目の夫。おじはビリオネアで妻は大女優。自身も実業家だそうだけど、「並外れた素晴らしいパートナー」と称えられる彼は一体どんな人なんだろうと、ここでもゴシップ愛好家としての好奇心が騒いでいる。